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尊敬と感謝について

2009/01/21

オイラは日本での職業は僧侶だった。

「僧侶です」と告げると、相手から無条件に尊敬され、ほんのちょっとしたことでも感謝されてしまう。

そのことが若かったほうしうの心の中に大きな葛藤を産んだ。

「自分はまだまだ尊敬されるような人でもなければ、感謝されるようなこともまだまだできないのに・・・」と。

北京やウィーンで海外生活をしたのも、そういう「ほうしう」と「他人が思うほうしう」との乖離が大きくて、そこから逃避して、自分と世界をもっと深く見つめたかった、というのが海外生活を始めた理由(言い訳)なのかも知れない。

積極的、というより逃避。

睡眠に逃避する人、女や酒に溺れる人、仕事に没頭する人、いろいろなタイプがいるけど、オイラは「海外に出る」という一見ポジティブに見えるネガティブなやっかいな理由で旅に出た。

感謝ってなんだろう?

尊敬って一体何なんだろう?

他人は自分を映す鏡?

当たり前だといえば当たり前のように聞こえるけど、以前は尊敬できる人しか尊敬していなかった。

尊敬できないものは、表には出さなくても心の奥で激しく憎悪していて、憎悪と愛情が同時に存在する不安定な2面性の世界の中で必死にバランスをとろうともがいていた。

そういう心を持っていると他人に対しても自己に対しても攻撃的になってしまうし、心の中に同じような「悪魔」が潜んでいる人たちが多く寄ってきたように想える。

そういう人たちを心の底から感謝し、尊敬できるかといえば、当時の自分では無理だった。

むしろ周りにいる人は自分を映す鏡で、自分自身の中にある課題が相手に映っていただけなんだろう。

周りのモノに対して感謝すること

ウィーンでは、物を良く壊していた時期があった。

友人が大切にしている高価なランプだったり、コップだったり、食器だったり。

今想うと不思議なほどに多くのモノ、普通の感覚ではありえないものまでも、あらゆるものが壊れていた。

それを見た友人がみかねて「ほうしうが何でものを壊すか分かる?」と尋ねた。

オイラはモノが多くてごちゃごちゃしているのが嫌いだから、物がなくなればキレイになるし単純でいいのにって感じていた。

「お前の部屋がごちゃごちゃしすぎてるからだよ!」と心の中で答える。

「モノに対するリスペクト(尊敬)が足りないからだよ。」

あぁ、そうか。

なるほどって想った。

そういわれてみるとモノに対して感謝し尊敬することってなかったかもしれない。

好きな物、大切な物はあっても、そのモノがあることに感謝し、そのモノの存在自体を尊敬していたかというと、そうとは言い切れない。

「モノは消費するもの」という悪魔的な考え方が当たり前のように心の奥に潜んでいたんだろう。

あぁ、恐ろしい・・・。

それがモノの存在に意識を集中すると、より多くのものに対して感謝できるようになったし、そのモノを尊敬できるようにすらもなった。

そういう視点で世界を見るようになったら、周りの物が壊れるのはぴたりと止んだ。

今になって思い返すと、何でそんなことすら分からなかったんだろうっていう簡単な気づきだった。

「感謝と尊敬」について学ぶのだったら、まずは身の周りのモノに対して感謝と尊敬できるようになれば良いと想う。

自分自身に感謝し、自分自身を尊敬すること

「尊敬されるためにはどうしたらいいのですか?」

「感謝されるにはどうしたらいいのですか?」

このページにも「人から感謝されるには」あるいは「人から尊敬されるには」などの検索ワードでやってくる人も多い。

そういうページは、「まずその相手のことに感謝し、尊敬することだ。感謝できる人は、感謝される人になる。」などとアドバイスされていることが多いようだ。

オイラは、天野ジャックだからか、「尊敬できない人をどうやって尊敬するの?」「感謝できない人にどうやって感謝するの?」って想ってしまう。

「まず相手の良い部分を見つめましょう?」

相手の頭に来る部分の方しか見えないんですけど!!

「小さなことでも感謝しましょう?」

そんな小さなことにかまってられないぐらい、大きなことに頭に来てるんですけど!!

そういう時期が長く続いて、あるときふと気付いたことがある。

自分も含めて、感謝できない人や尊敬できない人がいる人たちは心の奥のどこかで自分自身に対して感謝していないし、自分自身を尊敬しきれていない人が多いんだ。

その視点で見つめ直すと、自分のことをおざなりにして、愛していない、感謝していない、尊敬していない!自分がいる。

まず、相手に感謝し、尊敬されたい人は、自分のことを感謝し、尊敬できるようになることが近道だと想う。

でも、それってけっこう難しいよ。

過去の許せない行為をした自分、自分の嫌いな自分、人には見せられない心の闇を持った自分なども含めて受け止め、許して、そこから感謝や尊敬の念に変えていかないといけないから。

でも、それが出来るようになると、相手を許すことは簡単になってくる。

感謝できる人は、感謝される人になる

次の段階では、感謝や尊敬を要求するようになりがちだった。

酷い人になると「俺は偉いから尊敬しろ」「お前、俺に感謝しろよ!こんなに面倒みてやってんだよ!」など攻撃的なことを言ったり、心の中で思っていたりする。

感謝と尊敬の要求。

傲慢っていう言葉がぴったりだ。

そういう態度でいると、相手も同じように傲慢になる。

自分の出来ないことを相手に要求する傲慢さがそこにはあるのだから。

 

感謝できる人は、感謝される人になる。

尊敬できる人は、尊敬される人になる。

感謝を要求する人は、感謝されない人になる。

尊敬を要求する人は、尊敬されない人になる。

結果として感謝や尊敬されるだけのもので、要求するものでも望むものでもない。

 

「感謝や尊敬を要求」する世界に入りこんでしまうと、こんな簡単なことも見えなくなってしまう。

すべてのものに感謝できるように

そういう課程を辿って、周りにある物や人にすべて感謝し尊敬できるようになると、シンプルになったし楽だ。

すべてに感謝し尊敬できるようになるから、ごちゃごちゃと区別をする必要がない。

「感謝されない、尊敬されない」ってことに対して、攻撃的になる必要もない、そうなると痛むことも悲しいこともなくなるから、相手も優しくなるし、感謝も尊敬もされるようになった。

感謝されること、尊敬されることがどうでも良くなったら、感謝されるし尊敬されるようになる。

人生の皮肉やね。