2007.4.7
中国のトイレは壁がない!
よく中国を小ばかにするときに触れられる話題だ。
中国式の壁のないトイレは先進国では想像することすら出来ないと思う。
以前は旅行で中国を訪れる多くの外国人にとって中国式の壁のないトイレが大きな問題になっていたそうだ。
今でも、壁のないトイレは北京オリンピックを間近に控えた首都北京でも多く残っているし、中国の一般的な人の感覚からするとそれでも何も問題はない。
以前はそういう壁のないトイレは極力避けていたのだが、最近引っ越した北京の古い平屋は家の中にトイレはなく、通りの共有トイレを使うようになっている。
壁のないトイレは日本や先進国では体験できないことなので、そこから学ぶべきことも実は多いのだと気付いた。
普段使う公共トイレは壁はなく新しい奇麗なトイレでそこに機能美を感じている。
空間に便器が4つ並ぶだけのトイレ。
シンプルで美しく。
それは仏教の教えにも通じる。
単純で機能的な中国のトイレは、もし奇麗でありさえすれば先進国の壁のあるトイレよりも快適なのではないかと思い始めている。
中国の壁のないトイレ
さらに家にトイレがないとトイレ掃除をしなくても良いから楽だ!(笑)トイレ掃除をする人が定期的に掃除してくれるから汚いことも少ない。
このシンプルなトイレは掃除も楽だ。
壁のないトイレだから知り合いがいると会話もする。
そこで中国人は無意識に、我々は上も下もなく同じ人間なのだという感覚を自然と身に着けるのではないだろうか。
偉い人でも、貧しい人でも、お金持ちでも、同じように同じような姿で排泄する。
同じように下痢もすれば、用を足した後は同じように紙で拭く。
中国語にしても尊敬語・謙譲語などほとんど発達しておらず、中国人の考え方も、年上だから、年下だからという考えは、日本人と比べると薄い。
そこには、「我々は同じ存在である」という意識が強くあるように思える。
通りの公共トイレを使うと街が自分の住み処なんだと強く感じる。
社会の一部として機能してるんだと嬉しくなる。
そのためか起きてパジャマのまま通りを歩く人も多い。
街全体が家の一部って感じ。
街全体がある意味家族って感じ。
壁のないトイレ。
隣に誰がいようとも、排泄音を気にしない。
気にしていたらできない。
排泄することは、隠すべきことではなく、人間としては自然なことだ。
中国で、排泄音を気にせず、隣に知らない人がいる環境でトイレをするときに、ある種の心地よさを感じる。
「今までは、隠さないでよい自然なことまだ隠さないといけないと勘違いしていたのか。」
と感覚的に理解し何が人間にとって自然なのかを考えさせられた。
日本では、排泄することは恥ずかしいと一般的に思われている。
「音姫」という、排泄音をごまかす装置が売れるのは日本だけだと聞いた。
何で?
排泄という、人間にとって自然なことを隠さないといけないということは、自然な存在である我々には実はストレスであるようだ。
そのストレスから開放されて、中国の壁のないトイレでの排泄がある種の心地よさを感じたのではないだろうか。
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