四半世紀を駆け抜けたキラ星「アイドル」爆笑取材秘話
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およそ二百数十人もの新人アイドル少女を毎月対面取材した著者。
田中麗奈、酒井法子、優香らトップアイドル!「立ちバック、さいこー!」と口走ったり、途中から「手コキ」を始めた名前の出せないアイドルまで・・・。
2007.4.9
引っ越した東四で、仲良くなった水屋を経営している20代の有能な経営者。
彼とは驚くほど仲が良くなった。
「ありがとう」と普通の感覚で言ったら、最初は不快な顔をして、「中国では友達にはありがとうは言わないものだ」と言われた。
友達同士で助け合うのは当たり前だから、ありがとうと言われると「友達と言えるほど親しくないからありがとうと言う」んだと、距離がある関係のように感じるらしい。
最初の頃は全くありがとうと言わない関係には慣れなくて、「ありがとう」が抜けないで、しばしば彼を不快にさせていた。
最後に彼は半分冗談で「ありがとうって言うなって言ってるだろ!」と殴りかかりそうな勢いで怒った。
そのことがあってから、「あぁ、中国では友達同士ではありがとうと言う言葉が要らないんだ」と感覚的に分かった。
2008/05/05
中国人は感謝を表現するには言葉でなく行動で表すことが多いようだ。
感謝の場面だけではなく人を大切に思う表現は言葉よりも行動で表すことが多いみたい。
純粋で照れ屋なところがある中国人だからかな?
中国に来てから英語のメールが直接過ぎて失礼に思われることが数回あった。
そういえば日本に留学している日本人の親友も、日本に慣れすぎてか、中国に帰ると「ありがとうといいすぎる」と友達に言われがちだそうだ。
親切にしてもらって。
西洋人「ありがとうってなぜ言わない!」と文句を言う。
中国人「ありがとうってなぜ言う!」と文句を言う。
どうすれば。。。?
これは人間関係における大きなテーマの一つだ。
例えば、果物を貰ったときに、中国的な友達関係の中では、「ありがとう」と言うと相手を不快にする。
でも、日本や西洋であったら、この場面で「ありがとう」と言わないほうが相手を不快にさせる。
難しい。。。
同じ感謝を伝える言葉なのに。
何というのだろう、仲の良い友達同士では、1つの心に2つの体というか、相手が自分の分身というか、自分の一部と言うか、自分が2人いるというか、個人と個人の境界線が限りなく薄くなる。
自分が自分を助けるのは当たり前で、自分にありがとうと言う必要はないでしょう?という感じに近いのかも知れない。
そういう考えは、自分個人のプライバシーを必要以上に重んじる西洋人や日本人にはわかり難い感覚であると思う。
しかし、この感覚を一回身に着けると、逆に「なぜ多くの人は、分裂という幻想の中で苦しみながら生きているのだろう?」と問いかけたくなってくる。
「我々は本来1つの存在である」という自然で簡単な理解なのに。
おそらく現代の先進国社会の人々は、潜在的に精神分裂病なのだろう。
統合という概念を失調している。
たちの悪いことに、精神分裂病が大多数になってしまって、自分が精神分裂病だとは気づかない。
大多数である自分たちを正常だと思っている。
そういった大多数は「我々は本来1つの存在である」という自然で単純な理解をしている人を指して、「狂っている」だとか「野蛮な文化だ」と決め付けがちだ。
社会の進化の一過程として必要なのかもしれないけど、もう分裂の幻想に痛むのは充分だと思う。
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