ほうしう北京へおでかけ
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中国人との付き合い 相手を大切に想う表現

中国の大きさ・懐の広さ

2007.4.11

北京に来ての驚きは、日本であれば施設でしか暮らせないような人が堂々とたくましく生きていける環境であること。

首都北京といえども、ワイルドである意味原始的な社会。

システムで複雑に構築されてはいない社会だから、知的障害があるような人でもシンプルな考えでも暮らしていけるのではないかと思う。

近所の耳の不自由な青年

例えば、新しく越してきた、老北京の雰囲気が残る東四界隈。

ここには、耳の不自由な青年が生活している。

首からカードをかけて、「耳が不自由・知的障害がある。何かあったら連絡先はここ」と電話番号が書いてある。

彼と道で会うと、^-^ほうしうにタバコを1本渡して火を付ける。

親愛の表現であるのか、気を抜くと股間をタッチ!というか、ヒットしようとする。

ヒットに成功すると、喋れないから「うーうー」と歓喜を叫びで表現する。

痛いからそれは、やめてくれ。

日本はこういう知的な障害がある人は施設に閉じ込める印象があるけど、彼は生き生きと自分を生きている。

老北京の懐の深さだ。

耳の不自由な・知的障害のある韓国人

現在、友達の部屋を借りている状態なので、隣の水屋の仲良くなった店主に頼んで、北京で部屋探し その5を手伝ってもらった。

彼のとった方法は、「1ヶ月1500元以内の部屋を探しています」と店の前にかけてある小さな黒板に書くだけ。

彼曰く「待ってれば、そのうち来るから。」

まじですか?

これだけで大丈夫なんですか?

翌日、朝、隣から呼び出された、部屋を紹介してくれる人が見つかったと。

キター!!!

行ってみると、その部屋を紹介してくれる彼は、言葉をあまり喋れず、顔の表情も日本であれば知的障害者と形容されるであろう人だった。

はっきりとは分からなかったが「韓国人で10年間北京に住んでいて屠殺の仕事をしている」そうだ。

あまり気は進まなかったので断ると悲しそうな目をして「見てから決めてくれ」と言葉ではなく目と体を使って訴える。

水屋の彼も「見てから決めろ、でも金は払うな、考えるからと言え」とアドバイスをしてくれた。日本であれば、「あいつは怪しいからついていくな」とアドバイスをいう場面だと思ったが、これも中国の懐の広さなのだろう。

彼の伝えていることは正論だと感じたし、こういう機会もないし、ウェブにも書けるからと思って、彼の紹介してくれる部屋を彼と二人で見に行くことにした。

一緒に歩くと、彼は後ろから来る自転車の音が聞こえず、ぶつかりそうになる。

ただ、しっかりしているところもあって、タバコをくれたり、ご飯は食べるか?と合図する。

おなかも減ってなかったから、飲み物だけ他の店で買った。彼に飲み物は?と尋ねると、いらないと。

タバコを貰ったときに韓国語の「カムサハムニダ」と言ったら、手を合わせて軽く礼をしたので、韓国人と言うのは本当だろうと思う。

水屋の主人もこのような韓国人が北京で生きていることを不思議に思って、実際水屋の主人は後で「彼は韓国人じゃないだろう。頭に障害がある中国人なんじゃないか」と推測していた。

ただ彼にとっては「嘘」という社会の複雑なシステムは理解不能だと思うから、やはり「韓国人で10年北京で暮らしている」のだと考える。

もしそうであるとすれば、北京の懐は驚くほどに深い。

日本であればこういう人たちはまずまちがいなく施設に閉じ込められるだろう。

バス停まで歩くと、彼は行き先のバスを指し示してくれた。

「こういうのはちゃんと分かるんだ」と少し感心した。

^-^ほうしうは北京に来て半年ぐらいはバスに乗るのが辛かったから。

バスは満員で、座るところはない。

彼は通路の邪魔にならないところに座った。

中国人がその場所に座っているところは見たことがないが、^-^ほうしうも実は疲れているときは座りたいな~って思ってた場所だ。

知的障害を持つ子供は宝の子供だとよく言われる。

複雑な考え方が出来ないから、素直に単純に考える、嘘をつく複雑さを理解しない。

一般の人のように、そこに座るのは恥ずかしいことだからとは考えない。

彼の座っている場所は誰の迷惑にもならない。

それを見た人たちは変な奴がいる、とでも言いたげな目つきで一瞬彼のことを見るが、そういう人もいるのね、とすぐに彼らの思考から消える。

それが中国の懐の深さなのだろうか。

こういうのを考えると、どちらが本来の人間らしいのか分からなくなってくる。

そこに座ってはいけない場所と暗黙の了解がある人たち、それを見る彼は不思議でしょうがないのだと思う。

なぜ座れる場所があるのにみんな立っているんだろう?

誰の迷惑になるわけでもないのに?

おそらく、こういう純粋な思考をもって「宝子」というのではないだろうか。

彼と偶然の出会い、おそらくこれからも一生会うことはないであろう彼だが大きな学びを残してくれた。

天から送られたメッセンジャーのようだ。

彼の部屋に着く。

ある程度広いが、汚い。

しかし、空気はどんよりとはしていなかった。

普通はこれだけ汚いと空気がよどんで長くはいられないことが多いけど、そこの空間は彼の純粋な空気で清められているのか、むしろ心地よさすら感じた。

彼の持ち物は少ない。

単純に純粋に考えられる人だから、多くの持ち物は必要ないのだろう。

これは、仏陀の思想に通じる。

仏陀も多くを持たなかったという。

究極的な意味では人生には必要ないから。

現代の物質文明ではそういうシンプルな仏に近い思考を持っている人をキチガイ扱いする。

本当におかしいのは、物質にとらわれすぎた大多数であるのに。

彼は部屋に着くと、飾ってある仏に線香を捧げた。

オイラも仏教徒だから、線香と詠唱を唱えた。

音に乗った祈りは、知っている中では一番空間を癒す。

お祈りの時間が終わって、彼に「この部屋はダメだ」と伝えると、彼は「分かった、見て気に入らないのならしょうがない。俺はこれから風呂に行く。バスは●番で帰れ。俺は○で行く」と言葉を使わずに伝えてきた。

もし彼が、今の純粋な思考と、多くのものを必要としないシンプルさを持ちつつ、奇麗にすることを覚えたなら、彼の人生はオートマティックに不思議な力でもっと良い方向に進んで行く事だろう。

思考を現実化させるのは多くの人が思っているより簡単で、単純に、キレイに、を保っているだけでいい。思考が現実化する過程も単純に、キレイになってくる。

嘘をつくと、嘘の現実を呼び起こしがちだ。

隠すと、何が隠れているか分からないから、現実は混乱したものになる。

北京で会ったアメリカ人のクリスチャンは、「緊急事態が起こった、でもプライバシーだから言えない」と。

何が彼にとっての緊急事態なんだろう?

隠している事実をどうやって、知れと言うんだろう?

隠していたら、想像という妄想の怪物はどこまでも大きくなる。

彼の父が死んだのが緊急事態なのか?

彼の父がうんこをもらしたのが緊急事態なのか?

プライバシーだと隠さずに正確な情報を伝えてくれると、こっちも正しい対応ができるのに。

アメリカ人だから、「アメリカの常識は世界の常識だ。緊急事態が起こったと言えばわかるだろう」と無意識な傲慢さを持っているのだろうか?

「それぐらい察してくれよ」オイラが察するとどうしてもお笑いの方向に向かう。。。

関西人でもないのに。。。

さぁどうすれば。。。