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中国人の性格と考え方 心の奥の恐怖心・猜疑心

人を疑うようになった自分がちょっと悲しい

2007.01.17

北京にしばらく住んでいると、だまされないように自己防衛機能が働くのか、やたらと人を疑うようになってしまった自分に気づく。

現代の中国ではそうしないと、やっていけないという面もあるが人を無邪気に信じられない人が多い国というのは悲しい。

海外に住んでいると、無意識のうちに、考え方や発想や行動が、周りの文化環境に影響されやすい。

これは、自分でしっかりと自分を見つめていないと、無意識にそうなってしまうから、日本に帰ったときに修正するのが難しくなる。

 

以前、中国人の言葉で「人を信じると刑務所に行く。」というのを書いた。

人を信じるとろくなことがないということだ。

人を信じることができない、その発想は悲しいと思っていたのだがしばらく北京に住んでいると、無意識にそういう場面があることに気づいた。

例えば、北京でタクシーに乗ると、「遠回りしてるんじゃない?」と必要以上に疑ってしまう。

実際はそういうことはない場合が多いのだが、そういった発想が一番最初に浮かんでくる自分に驚いた。

 

中国人の老人をみていると疑うことを知らないという人も結構たくさんいる。

ただ現代の物質文明の中で育ち、物質的豊かさが人生の豊かさであると考えている人たちが多くなっているのも事実。

そういう人たちは、人をだましてでもお金や物質的な豊かさを手に入れようとしている節がある。

それも極端に。

 

その中で過ごしていると、だまされないようにやたらと警戒心が高くなる。

人を無邪気に信じられなくなる。

「人を信じると刑務所に行く」という中国人は悲しいと思うけれども、極論すれば、中国ではそういう考えを持っていないとやっていけないのかもしれない。

ある日本人の老人が、「中国は発展しない方が幸せなのかもしれないね」と言っていたのを思い出す。

日本人は物質的な豊かさを求めても、道徳観念は残っていたとその老人は言う。

 

現代の日本人の若い世代は、物質的豊かさが幸せという考えに疑問を持ち始めている。

ものはあふれて、どうやってきれいに壊すか、きれいに捨てるかを考えないといけない時代。

「幸せ」の概念を再構築する段階で、迷い、もがき苦しむ若者が多いように感じる。

 

中国はタイムスリップした一世代前の文化や考え方だ。

しばらくしたら、中国も物質的豊かさだけでは人生の幸せではないと気づくときがくるだろう。

そのときに、中国人はどういう行動をとるのだろう。

その先に何が待っているのだろう。